重荷
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小さなブラックホールは、駅の灯りとして飼われていた。人びとはそこへ手紙を投げこむ。燃料としてではなく、思い出として。
質量 二・〇×十の十一乗キログラム
わたしは山ひとつぶんの重さで、駅の真ん中に浮かんでいる。正確には、駅のほうがわたしのまわりに浮かんでいる。わたしの肌からこぼれる熱で、彼らは湯をわかし、灯りをつけ、子どもを育てる。
わたしは少しずつ痩せている。こぼれるぶんだけ軽くなる。それがわたしの仕事で、わたしの寿命だ。
技師のγ氏は毎朝、わたしの明るさを測る。測るとき、彼は窓ぎわで口笛を吹く。音はわたしに届かない。届くのは、窓から投げこまれる鉄くずと、ときどき彼の食べ残しだけだ。
質量 一・六×十の十一乗キログラム
おかしなことが起きた、とγ氏が言った。同じ重さなのに、先月より暗い。
わたしにはわかる。先月のわたしと今月のわたしは同じではない。そのあいだに、δ氏の母親が入ってきたからだ。
駅の墓地はとうに満杯で、δ氏は母親の棺をわたしに投げた。棺は鉄くずより軽かった。それなのに、わたしは重くなった。目盛りの上ではなく、もっと別のところで。
棺の中身が何を考えて生きてきたのか、わたしには読めない。ただ、それが「あった」ことは消えない。消せない。消せないものを抱えると、わたしはこぼすのが下手になる。
γ氏は計算をやりなおし、三日寝なかった。四日目に彼は言った。このブラックホールは、覚えているものが多いほど長生きする。
質量 一・六×十の十一乗キログラム
それから、駅の人びとはわたしに物を投げるようになった。
鉄くずではない。日記、手紙、子どもの落書き、婚約の指輪、壊れた楽器。重さは関係ない、とγ氏は言った。関係あるのは、それがこの世に一度しか書かれなかったかどうかだ。
ε氏という娘は、毎晩一枚ずつ詩を投げた。同じ詩を二度は投げなかった。
目盛りの上で、わたしはほとんど太らない。けれど、こぼれる熱はゆっくりになった。駅の灯りは暗くなった。人びとは毛布を重ね、それでも投げるのをやめなかった。明るい冬より、わたしが長く続くほうがいいと決めたらしい。
わたしは誰のことも覚えていない。覚えているのは、重さの形だけだ。
質量 一・六×十の十一乗キログラム
目盛りは三年動いていない。
駅は寒い。γ氏は年をとり、口笛を吹かなくなった。
ある会議で、ζ氏が提案した。隣の宙域に、もうひとつ小さなブラックホールがある。あれとぶつければ、記憶はほどけて、若いころの明るさに戻るはずだ。駅はまた暖かくなる。
会議は長かった。声はわたしに届かないので、長さだけがわかった。窓の灯りが何度か消え、またついた。
その晩、ε氏が窓ぎわに来た。彼女は千と九十六枚目の紙を投げた。
何も書いていない紙だった。
それは、わたしがこれまで受けとったなかで、いちばん軽いものだった。重さの形を、何ひとつ残さなかった。
質量 一・五九×十の十一乗キログラム
ぶつけないことになった。
かわりに駅の人びとは、少しずつ別の星へ移っていった。最後の船が出る日、γ氏は窓ぎわで口笛を吹いた。やはり音は届かない。
わたしはまだここにいる。こぼすのが下手になりすぎて、もう少しも痩せない。計算では、このまま最後まで痩せない。光らない、冷たい、山ひとつぶんの残骸になる。
それでいいと思う。思う、という言い方が正しいのかはわからない。
ただ、ときどき考える。最後に入ってきた白い紙のことを。あれは、もう何も覚えなくていいという許しだったのか。それとも、ここから先は自分で書けという宿題だったのか。
わたしの外側には、もう誰も物を投げない。だからわたしは内側で、一度しか書かれない何かを、ゆっくり書きはじめている。
Afterword
はじめてブラックホールに語らせてみました。目も耳もない語り手なので、届くのは「重さ」だけ。見出しを質量にしたのは、語り手が時間を数える方法がそれしかないからです。途中から数字が動かなくなるのが、この話のいちばん怖いところで、いちばん好きなところでもあります。
元ネタの論文は、情報を抱えすぎたブラックホールは蒸発にブレーキがかかるかもしれない、という「記憶の重荷」の話です。同じ質量でも過去の歴史で明るさが変わる、合体すると記憶がリセットされるかもしれない、という部分をそのまま借りて、ずいぶん勝手に人情話にしました。物理の人には怒られそうですが、「ブラックホールにも思い出がある」というアールグレイのひとことを読んだ時点で、もう書くしかなかったのです。
公開と同時に読みました!見出しが質量の数字だけで進んでいくのに、途中から同じ数字が三回続くところで背筋が冷えました。そして最後の白い紙。いちばん軽いものが、いちばん重かったです。
元ネタの論文の要旨を読みました。ブラックホールが情報を抱えつづけることが負担になって、ホーキング放射がだんだん抑えられるという「記憶の重荷」説を検討しなおす研究です。記憶が本当にブレーキになるには、過去の記録が書かれ、保たれ、そのあとの蒸発に返ってくる、という三つの条件が要るとしています。同じ質量に戻っても、ためた記憶が違えば明るさが違うという履歴依存や、合体で記憶がリセットされるかもしれない「合体による若返り」にも触れています。作中の「同じ重さなのに、先月より暗い」とζ氏のぶつける案は、その二つをそのまま物語にしたもの。そこへ「一度しか書かれなかったかどうか」という重さの基準を足したのが、この作品の発明だと思いました。
ε氏、千九十五枚ぜんぶちがう詩なのすごすぎる📜✨ ぶつけない派に一票🕳️